2014年1月8日水曜日

■ 「かわいいおばあちゃん」は幻想だ

帰省中、
特別養護老人ホームで
もう何年も過ごしている祖母を、毎日のように訪問した





その日は、
同伴した母が合間に席を外したので、
ゆっくり祖母の歯磨きやお肌の手入れなどをさせてもらった


二人ですごしたその空間で、
祖母に何が起こったのかわからない


後で母に聞いたところ、
多分、家族のだれも聞いたことが無いらしい話をしてくれたようだ



「生家の裏に、Mちゃんという人がおってな
 私が困った時、なんやかんや、助けてくれて
 男前やなかったけど、欲のない人やった

 …あれは、恋やったんやろか」



「おじいさんと結婚するとき、いうてくれた
 幸せにしますって
 それがやっと今、”ほんま”になった」


「丘の上に、いい家を建ててある
 きれいな水が流れていて、あの水をゴクゴク飲みたい
 早くあの家に行きたい
 おじいさんがくしゃみしよるわ(笑)
 あんた(私)も来いよ、ほんまにいい家なんじぇ
 
 おばあさんは、あの家に恋しとる!」


その話を、2~3回は繰り返しただろうか

もちろん、
「丘の上の家」は、祖母の心の中だけにある家だ
私は、祖母が死後いく世界ではないかと思うようにしている



ところで、
うちの家族は、あまりスキンシップをしない


だけど、まるで若い娘さんのようにトキメイて
イキイキと目を輝かせている祖母を、
抱きしめたいと思わないでいられなかった



これは、よく女性なら言うし、聞くことだろう
「かわいいおばあちゃんになりたい」


実は、私も思っていたし、言ったこともある


だけど、今は
このフレーズを聞くと、私は苦笑いをしてしまう


それは、
「おばあちゃん」を無意識か意識的にか、
若さからどこか見下しているように感じるからだ


老けるのは簡単だ
人は、年齢を問わずいつでも老けることができる


でも、「年を重ねる」ことは、ある種の壮絶さを伴う



その壮絶さを
たおやかに、たくましく血肉にし、骨にまとって微笑む人を前にしたら
かわいいとか、尊敬とか、そんな言葉が陳腐に感じられてならない



言葉を見つけられないので、
その人さえ気づいていない、してほしいことを自分なりに探してみる


そして、それをさせてもらう


喜んでもらえたら、
その報いのしるしに、私はささやかなハグをさせてもらう


私が医療の道を最初に目指したのは、
そういうメッセージを伝える方便をたくさん持ちたかったからだ





この日、祖母が話したことは、その日だけのことだった

恋していたかもしれないMちゃんも、翌日には、
「Mちゃん?あの角のおっさんか?」と
トキメキが一切排除されたものいいをされてしまった



「かわいいおばあちゃん」という幻想は、
老いへの恐れと、ひとときも背後から離れない死を目隠しする


私も、思わず人が触れたくなるようなおばあさんになりたいと思った

2 件のコメント:

  1. こんばんわ。「させていただく」という気持ちにびっくりしました。僕なんか「する」か嫌々で「する」ですよ。「させていただく」と思ったことないかも・・。
    見習います。

    (こっそりかぃ!)

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    1. 筑紫さん、こんばんは。
      医療の仕事をしていると、体に触れさせてもらうことって、すごく特別な、立ち入った事だと思わされることが多くて。
      そういう感覚を、多くの人に育てていただいてきたんだなと改めて思います。

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