2014年1月21日火曜日

■対話だけが抜き取られていた―実験工房展

帰りが一緒になった友人と、ふらっと入った展覧会


1950年代の様々なジャンルのアーティスト達が手がけた、
バレエや能、演劇、絵画、クラフト、映像、音楽など

美術館は久しぶり

作品と会場の独特の空気や匂いが一緒くたになって、
五感が一挙に同時進行し始めるのは気持ちいい…
(その分、普段体験しない疲労もあるけど ―嫌いじゃない)

実験工房の作品に多いダークな色合いや、抽象的で心象風景的なモチーフは、
こちらも或る程度気を確かにして鑑賞しないと
どうも「あてられて」しまいそうなものだった
(偉そうに言ってしまった…が、だからこそ際立った出会いがあった
 ということを言いたいのでもう少しのご辛抱を)


そんな中で、「あっ」と私の目を引き、ホッとさせたものがあった


実験工房メンバーの書簡である


もともと私はフォントを見ると興奮する体質なので、
ショーケースに無条件に吸い寄せられてしまったが、
見ているうちに、しみじみ手書きのメッセージって言葉以上のものが伝わっていいなぁと
純粋な気持ちになったのだった


中でも駒井哲郎氏の綴ったエアメールに惹かれた


―駒井哲郎

全体的に主張の強い実験工房作品群のなか、
彼の作品は、くりっとした瞳の魚が描かれていたりしてかわいらしい上、
ちまちまとしたサイズが多く、印象に残っていた

だから、手紙の差出人がその人だとすぐつながった
他の人の手紙にくらべ、格段に字が小さいのだ


「ちひさきものはみなうつくし」はほんとだ


さて、駒井氏の手紙 ― 絵も小さいが、字も小さい(しつこい)


私が彼の手紙に魅かれたのはなぜかなと
印象の断片を手繰り寄せてみると
それは手紙全体に漂う清潔感だということに気づいた


では、この清潔感はどこからだろう…

その理由を手紙に探すと、
一つには書き損じがない、ということだった

他の書き手の書簡には、ふきだしが追加されていたり、
ペンで書き直されていたりしているのがほとんど

しかし、彼の手紙には、いっさいそれがなかった


そして内容―メッセージ全体の明るさ、優しさだ

「面白せうですね」 と昔の仮名遣いで紡がれた優しい文章に、
受取手への思いやりと祝福がみちていた


そうして1時間半くらいだろうか、じっくりまわった
久々にこういう時間を持てた、ということ自体が嬉しく楽しかったが、
思いがけず面白かったことがもう一つ


一緒に入った友人は、木に携わる職人でもある

見ていると、
木のオブジェや彫刻の前に立つたび
ごくごく微妙ではあるけれど、普段と違う顔に変わる

作品の前で私が「檜かぁ」と呟けば
(私も木が好きなので思わず声に出てしまう)、

友人は無言のまま、ふんふん、と鼻をうごかして薫りをかぎながら、
ぐるぐるとモチーフの周りを眺めている

それは一見してプロの顔であり、佇まいだった
(あとで本人にきくと、無意識だったらしく覚えていないらしい)

一つの道を極めていく人の横顔をのぞかせてもらえたのは
私にとっては芸術鑑賞と同列…いや、それ以上に楽しくこの上なく有り難いことだった
(本人には言ってない…なんだかわざとらしくなりそうだから)


話を実験工房に戻すと
作品のバックに流れる空気は、高度成長期後に生まれた私にとって、
肌で触れた事のないものだった

あれは戦後復興の潮流なのだろうか
芸術のフィルターを通して伝わってくる何とも言えない勢いがあった


そんな荒削りで尖ったインパクトに揉まれて歩いていたのが、
あの手紙たちの前に立った途端、流れる空気が変わったんだ

互いをぶつけあうことで創造せんとする積極性はそのまま、
相手への労りと・思いやり、手探りで未来を切り出そうとする若さと明るさ、
日本人らしい慎ましさ、等身大で素朴な彼らの姿が現れていた

はっきりいうと、
書簡を見なければ、展覧会のことは記事に取り上げなかったと思う


だけど、
手紙ににじみ出た彼らの「素」が
私にも流れる日本人の血を思い出させ、
なんとはなしに親しく嬉しい気持ちになってしまったのだ


友人は「今はもうメールだから(やりとりは残らないね)」と言った

それは、ちょっと淋しい
短くても手書きのメッセージを渡したいな


そう思った途端、
「字でも、絵でも、音楽でも、踊りでもいい、、、伝え合いたい」
と―自分でもちょっと驚いたが―腹の底から湧いてくる静かな衝動を感じた

知らない間に、メールやインターネットのパケットなメッセージに浸りすぎたんだろうか


この展覧会を通して、
また長年木と向き合って来た友人の姿を通して、

伝えること、受け取ることに飢えていることに気づかされた
人としての営みを横着していたということにも…
(以前は、医療の仕事でそういう感覚を自然と使っていたのが、
 そういえばこの数年、その感覚を使う場面がかなり減っていたなぁ)



それで今回のタイトルとなった

人や人の手で作られたモノとの対話がゴッソリ抜き取られていた、その深刻さにゾッとした―が詳しくはまぁいいか


3年前くらいだったかな…
美術館や博物館に一年の間に5回行こうと決めて実行したことがあった


あのとき、作品と対話するのが本当に楽しかったことを覚えている

再びあの時間を取り戻そうと小さく決意した一日だった

0 件のコメント:

コメントを投稿