2014年1月28日火曜日

■ 冬の頼もしい相棒―ドイツ製湯たんぽ

帰省中、その魅力のとりこになった「湯たんぽ」



ブログ読者様ならご存知の通り、
私はヨガマットで寝る酔狂な人間である


そんな私が
湯たんぽの可憐さに心を射抜かれてしまった


小さな体で寝ずの番
朝が来て役目が終わると存在感を消す、その健気さ、慎ましさ


…そんな女性になりたい(ん?違う?)


で、東京に戻って早速お買い求め




ドイツ fashy製の小ぶりな湯たんぽ



カバーの肌触りが実家の猫に酷似…




夏はとにかく快適だったヨガマット睡眠
心配していた冬も、大変心地よい温かさになった、というお話



とてもかわいい湯たんぽが沢山!


2014年1月21日火曜日

■対話だけが抜き取られていた―実験工房展

帰りが一緒になった友人と、ふらっと入った展覧会


1950年代の様々なジャンルのアーティスト達が手がけた、
バレエや能、演劇、絵画、クラフト、映像、音楽など

美術館は久しぶり

作品と会場の独特の空気や匂いが一緒くたになって、
五感が一挙に同時進行し始めるのは気持ちいい…
(その分、普段体験しない疲労もあるけど ―嫌いじゃない)

実験工房の作品に多いダークな色合いや、抽象的で心象風景的なモチーフは、
こちらも或る程度気を確かにして鑑賞しないと
どうも「あてられて」しまいそうなものだった
(偉そうに言ってしまった…が、だからこそ際立った出会いがあった
 ということを言いたいのでもう少しのご辛抱を)


そんな中で、「あっ」と私の目を引き、ホッとさせたものがあった


実験工房メンバーの書簡である


もともと私はフォントを見ると興奮する体質なので、
ショーケースに無条件に吸い寄せられてしまったが、
見ているうちに、しみじみ手書きのメッセージって言葉以上のものが伝わっていいなぁと
純粋な気持ちになったのだった


中でも駒井哲郎氏の綴ったエアメールに惹かれた


―駒井哲郎

全体的に主張の強い実験工房作品群のなか、
彼の作品は、くりっとした瞳の魚が描かれていたりしてかわいらしい上、
ちまちまとしたサイズが多く、印象に残っていた

だから、手紙の差出人がその人だとすぐつながった
他の人の手紙にくらべ、格段に字が小さいのだ


「ちひさきものはみなうつくし」はほんとだ


さて、駒井氏の手紙 ― 絵も小さいが、字も小さい(しつこい)


私が彼の手紙に魅かれたのはなぜかなと
印象の断片を手繰り寄せてみると
それは手紙全体に漂う清潔感だということに気づいた


では、この清潔感はどこからだろう…

その理由を手紙に探すと、
一つには書き損じがない、ということだった

他の書き手の書簡には、ふきだしが追加されていたり、
ペンで書き直されていたりしているのがほとんど

しかし、彼の手紙には、いっさいそれがなかった


そして内容―メッセージ全体の明るさ、優しさだ

「面白せうですね」 と昔の仮名遣いで紡がれた優しい文章に、
受取手への思いやりと祝福がみちていた


そうして1時間半くらいだろうか、じっくりまわった
久々にこういう時間を持てた、ということ自体が嬉しく楽しかったが、
思いがけず面白かったことがもう一つ


一緒に入った友人は、木に携わる職人でもある

見ていると、
木のオブジェや彫刻の前に立つたび
ごくごく微妙ではあるけれど、普段と違う顔に変わる

作品の前で私が「檜かぁ」と呟けば
(私も木が好きなので思わず声に出てしまう)、

友人は無言のまま、ふんふん、と鼻をうごかして薫りをかぎながら、
ぐるぐるとモチーフの周りを眺めている

それは一見してプロの顔であり、佇まいだった
(あとで本人にきくと、無意識だったらしく覚えていないらしい)

一つの道を極めていく人の横顔をのぞかせてもらえたのは
私にとっては芸術鑑賞と同列…いや、それ以上に楽しくこの上なく有り難いことだった
(本人には言ってない…なんだかわざとらしくなりそうだから)


話を実験工房に戻すと
作品のバックに流れる空気は、高度成長期後に生まれた私にとって、
肌で触れた事のないものだった

あれは戦後復興の潮流なのだろうか
芸術のフィルターを通して伝わってくる何とも言えない勢いがあった


そんな荒削りで尖ったインパクトに揉まれて歩いていたのが、
あの手紙たちの前に立った途端、流れる空気が変わったんだ

互いをぶつけあうことで創造せんとする積極性はそのまま、
相手への労りと・思いやり、手探りで未来を切り出そうとする若さと明るさ、
日本人らしい慎ましさ、等身大で素朴な彼らの姿が現れていた

はっきりいうと、
書簡を見なければ、展覧会のことは記事に取り上げなかったと思う


だけど、
手紙ににじみ出た彼らの「素」が
私にも流れる日本人の血を思い出させ、
なんとはなしに親しく嬉しい気持ちになってしまったのだ


友人は「今はもうメールだから(やりとりは残らないね)」と言った

それは、ちょっと淋しい
短くても手書きのメッセージを渡したいな


そう思った途端、
「字でも、絵でも、音楽でも、踊りでもいい、、、伝え合いたい」
と―自分でもちょっと驚いたが―腹の底から湧いてくる静かな衝動を感じた

知らない間に、メールやインターネットのパケットなメッセージに浸りすぎたんだろうか


この展覧会を通して、
また長年木と向き合って来た友人の姿を通して、

伝えること、受け取ることに飢えていることに気づかされた
人としての営みを横着していたということにも…
(以前は、医療の仕事でそういう感覚を自然と使っていたのが、
 そういえばこの数年、その感覚を使う場面がかなり減っていたなぁ)



それで今回のタイトルとなった

人や人の手で作られたモノとの対話がゴッソリ抜き取られていた、その深刻さにゾッとした―が詳しくはまぁいいか


3年前くらいだったかな…
美術館や博物館に一年の間に5回行こうと決めて実行したことがあった


あのとき、作品と対話するのが本当に楽しかったことを覚えている

再びあの時間を取り戻そうと小さく決意した一日だった

2014年1月8日水曜日

■ 「かわいいおばあちゃん」は幻想だ

帰省中、
特別養護老人ホームで
もう何年も過ごしている祖母を、毎日のように訪問した





その日は、
同伴した母が合間に席を外したので、
ゆっくり祖母の歯磨きやお肌の手入れなどをさせてもらった


二人ですごしたその空間で、
祖母に何が起こったのかわからない


後で母に聞いたところ、
多分、家族のだれも聞いたことが無いらしい話をしてくれたようだ



「生家の裏に、Mちゃんという人がおってな
 私が困った時、なんやかんや、助けてくれて
 男前やなかったけど、欲のない人やった

 …あれは、恋やったんやろか」



「おじいさんと結婚するとき、いうてくれた
 幸せにしますって
 それがやっと今、”ほんま”になった」


「丘の上に、いい家を建ててある
 きれいな水が流れていて、あの水をゴクゴク飲みたい
 早くあの家に行きたい
 おじいさんがくしゃみしよるわ(笑)
 あんた(私)も来いよ、ほんまにいい家なんじぇ
 
 おばあさんは、あの家に恋しとる!」


その話を、2~3回は繰り返しただろうか

もちろん、
「丘の上の家」は、祖母の心の中だけにある家だ
私は、祖母が死後いく世界ではないかと思うようにしている



ところで、
うちの家族は、あまりスキンシップをしない


だけど、まるで若い娘さんのようにトキメイて
イキイキと目を輝かせている祖母を、
抱きしめたいと思わないでいられなかった



これは、よく女性なら言うし、聞くことだろう
「かわいいおばあちゃんになりたい」


実は、私も思っていたし、言ったこともある


だけど、今は
このフレーズを聞くと、私は苦笑いをしてしまう


それは、
「おばあちゃん」を無意識か意識的にか、
若さからどこか見下しているように感じるからだ


老けるのは簡単だ
人は、年齢を問わずいつでも老けることができる


でも、「年を重ねる」ことは、ある種の壮絶さを伴う



その壮絶さを
たおやかに、たくましく血肉にし、骨にまとって微笑む人を前にしたら
かわいいとか、尊敬とか、そんな言葉が陳腐に感じられてならない



言葉を見つけられないので、
その人さえ気づいていない、してほしいことを自分なりに探してみる


そして、それをさせてもらう


喜んでもらえたら、
その報いのしるしに、私はささやかなハグをさせてもらう


私が医療の道を最初に目指したのは、
そういうメッセージを伝える方便をたくさん持ちたかったからだ





この日、祖母が話したことは、その日だけのことだった

恋していたかもしれないMちゃんも、翌日には、
「Mちゃん?あの角のおっさんか?」と
トキメキが一切排除されたものいいをされてしまった



「かわいいおばあちゃん」という幻想は、
老いへの恐れと、ひとときも背後から離れない死を目隠しする


私も、思わず人が触れたくなるようなおばあさんになりたいと思った

2014年1月7日火曜日

■2014年あけましておめでとうございます


よい年となりますように!!



沢山の出会いとチャレンジがあった2013年を見送り
2014年が始まりました


「人との出会い、つながりを一層大切にしていきたい」
そんな思いが心を突き上げてきます


今年の初日の出は、雲があるぶん、輝きもひとしお心に滲みました


本ブログに訪れてくださった皆様に、
喜ばしいことが抱えきれない程訪れますように!!


感謝と祈りをこめて
Chibikuro

2013年12月28日土曜日

■一人鍛錬

道場が空いている時間をねらって、
2時間自主稽古してきました




普段はできない、個人稽古ならではの稽古ができて大満足

自宅で教本を読んで「おぉ!」とひらめいても、
すぐ弓矢を持てないのがちょっと不満だったりしたので、
傍に教本とノートを広げて、微妙な心気や気息を試行錯誤

先生方、先輩方に指摘されたところも、
じっくり訓練

たっぷり2時間、集中できました(幸い、人もいなくて道場独り占め!!)

たまにはこういう稽古もいいなぁ

2013年12月27日金曜日

■意地の弓道家

堰を切ったように
弓道三昧となった2013年最後の3ヶ月

教士の先生から昇段祝いでいただいた
三十三間堂のストラップ
(ありがとうございました!)



この12月はもう2014年だというつもりで、
来年の審査や、射会に狙いを定めつつ虎視眈々と過ごしております

やったー来年は13ヶ月ある! …な〜んて(笑)



それはそうと、
どうやら私、やや意地になっていたようです


私を再び弓道に導いてくれたのは(以前にも書きましたが)、
高校時代の校長です


県の弓道連盟のお偉いさんだった(と思われる)校長と
道場でご一緒できたのは、本当に短いひととき、、、

そんな儚くも眩しい瞬間から、
想像以上に影響を受けていたことを思うと、
得も言えぬ感動がこみ上げてくるんです
(つくづく、人との通じ合いは時間とか空間は関係ないですね)


だけど、
弓道と再会して2ヶ月、楽しく稽古している日々にふと
心の底で触れる固いもの…



「—私、もしかして、”意地”になってないだろうか?」



はたと立ち止まり、
次いで出てきた想いに耳を傾けると

「どうしてもっと、校長にご指導を仰がなかったんだろう」
「卒業後、一度もご挨拶に伺わなかった」
「校長のお陰で、弓道と再会できましたってご報告したかった」



どうやら私、悔しかったんですね


自分に対してその気持ちを取り繕う必要はないし、
今からの日々こそ、後悔を残したくないと思います


だから、悔しさでも、懐古でも郷愁でもいいんです
それさえも燃料にして、本物の弓道をしよう、と思う今日この頃なのです

なのですよ、O校長!


2013年12月19日木曜日

■初段昇格!

道場の床がツルツルでした(笑)



寒い寒い日の、朝から夕方までの長丁場でしたが
無事初段をいただきました(ホッ)

応援していてくださった皆様、
ありがとうございました!
ご報告まで^^



次回は5月に、「弐段」にチャレンジするつもりです

この日、場数を踏まないと、と痛感しました
会長から「射会(対外試合のようなもの)にもどんどん出なさい」と
言っていただいたので、仕事が入っていない限りは参加したいと思います



そして、
今は亡き高校の恩師、O校長へ



校長、Chibikuroです

おかげさまで無事初段をいただきましたよ!
憧れだった道場にも立ちました^^
ありがとうございました

相変わらず
校長から言われ続けた「離れ」は
変なままですが、きっと直します

素直な、キレのよい離れになるように精進します
見ていてくださいね!

また、ご報告します
どうぞ、お元気で
Chibikuro